2010年10月29日金曜日

SPECがいい

フジテレビ金曜ドラマ「SPEC」がやはりおもしろいです。
脚本もキャストも音楽も、癪に障るツボが多くてアレです。
意味不明ですみません。

2010年10月28日木曜日

食べるラー油について

「食べるラー油」というワードを通じて、
その人の本質を知る事ができるような気がして興味深く思っている。
シャレ「あれなんだっけか、あのアレ…」
ツチノコ選手「食べるラー油ブームうぜぇ、はやく終わんねーかな」
シャレ「食べるラー油って知ってる?」
キシリア「BBクリームみたいなものかなァ?」
シャレ「はいもしもし? どちらさま?」
酔っ払い「っ ふっぐっ… Yさんに食べるラー油もってかれたーっ###」

2010年10月26日火曜日

25日 シャレ動静

注;巨匠ヒ○タさんは仕事の鬼です
9時半 K次嬢に「白金までデバってこいやーっ!」と呼び出しをくらう
9時40分 M尾記者に助けを求める
10時 編集長にも助けを求めたが電話が繋がらない
11時 ジャージに着替えマスク着用し出動
12時 最寄り駅からタクシーに乗る
金の指輪をはめ、ジャンボ尾崎みたいな格好をした兄ちゃんの運転する
クラウンであった。暴走族、戦闘機、F1の話を聞く。
「ねえちゃん気質じゃねーだろ。俺一人もんだよ」とナンパされる
13時 白金高輪着
ガラス張りのバベルの塔を見上げる。しみじみとする。
「かかってこいやー」という気持ちでエレベーターにのろうとしたら、
前方から光につつまれたまばゆい人が近付いてきて思わず手を合わせる。
ミルフィーユみちこ様であった
13時10分 ND編集部を襲撃
「ここ空気悪いね」と大声で言ってみたりして憂さを晴らす。
編集部員らに悪態をつき、金目のモノを探す。血糊をつけた伝言を残す。
昼飯代をせびるため元編集長のデスクへ
13時半 K次嬢とM尾記者とサルバトーレ・クオモで会合
14時 A嬢と偶然すれ違い抱擁
連れの美人カメラマンに嫉妬。これみよがしに
A嬢に身体をこすりつけ自分のモノにしようとしたら写メられる
14時半 魚欄坂下「味徳」へ
おっちゃんとおねえさんが元気であることを知って喜ぶ
15時 エス○ムを襲撃
K藤アートディレクター、T本選手、K林選手と会談。ダラダラする。
T本選手の本棚から「ポエム番長」をかっぱらう
16時15分 canoe選手にご挨拶
美人妻クシャナ殿下の写真を自慢される
16時半 人事部を襲撃
クシャナ殿下にご挨拶。ジャージでたずねたことを詫びる
17時 旧姓石井アートディレクターとムラタ選手に絡む
石井ADの引き出しをあけて金目のものを探す。
ムラタ選手がapcか何かのコートを通販で買って一晩着て、
サイズが合わないと知ってコンビニの袋に入れて捨てたとかいう話を聞く。
かつあげしようかと思ったが思いとどまった
17時半 社内スタジオを襲撃
カメラマンヒ○タさんと会い感動。
モジャモジャ頭を撮影してもらう
18時 K藤ADとカフェ・エスペランサでタイマン
完璧な平安の時を得る
19時 K次嬢とM尾記者を強制連行し、杏の城へタクシーで出陣
「鬼に金棒」の気分を味わう。「身体のどことかが悪い」とか「昨今の若者は…」
とかいう話で盛り上がる
20時 遅刻 略
0時 高田純次「人生の言い訳」を読んで寝る
ご協力ありがとうございましたm(_ _)m

2010年10月25日月曜日

本日午後、白金に参上します。

突然ですが、夜7時まで時間をつぶさなければならないので、
会社を襲撃しようと思っています。
お会いできる方、お気軽に携帯まで連絡ください。
忙しくてキレそうな人の神経を逆なでするような、
ドロンドロンのジャージ姿でちょっかいを出しに参ります。
ハロウィンのお化けの一種だと思って対応していただければ幸いです。
エ○テムでの昼寝も予定しております。
帰りは三鷹方面までタクシーを使いますので、
同乗したい方はご遠慮なくお申し出ください。

2010年10月22日金曜日

肝試しではない

腹いせに立ち寄った成城の家系洋菓子店「マルメゾン」
カーテンの向こうに気配を感じます。
ご老人は車椅子を降り、ベッドに上がろうとして上がれず、
難義しておられるようです。
靴のゴム底がキュッキュと鳴っているのが聞こえます。
看護士が介助に駆けつけました。
ご老人はベッドでしかるべき体勢を整えたようです。
いままさに骨髄検査を受けようとしておられます。
てゆうかちょっと待ったーーーーーーーーーーーっ!!!!!
 
私はいそいでバッグからiPodを取り出し、
耳にイヤホンをねじ込みました。
注射器に麻酔薬を満たすトクトクトクっという音、
金属製の器具がふれ合うカチャカチャっという音、
骨を貫くキュルキュルっという音、
そして、ご老人の叫び声をかき消す
できる限り音域の広い曲を音漏れ必至の大音量でプレイ。
慌てていたので手が震えました。
「もう終わっただろう」と十分に時間が経ってから、
イヤホンを外すと… ご老人がふぇ〜んふぇ〜んと
力なく泣いておられるではないですか。
なんとな、、、かわいそうに…
「さて、お次はシャレさんですか」
医師がカーテンの隙間からこちらをのぞいてます。
こんな恐ろしいことが世の中にあっていいんでしょうか。

2010年10月19日火曜日

マルクだョ!全員集合

定規を使ったちゃんとした絵もかけるんだョ的な…
イラスト仕事の注文を受け付けております!
あさって10月21日13時より、
恒例の骨髄戦士「ジャンヌ・マルク」を杏の城で上映いたします。
太い針を使った検査です。
見学をご希望の方はご連絡ください。

2010年10月15日金曜日

プレスリリース

アディダスの新作ジャージを購入したシャレさん
[シャレさんがジャージ番長™に就任] 2010年10月15日、カリフォルニア州クパティーノ、SyarApple®は本日、シャレさんがSyarApple®のジャージ番長
™に就任したことを発表しました。シャレ番長は9月3日にSyarApple®の取締役を辞任し、しばらく風邪™でぐんにゃりしていました。長らく横になったり引きこもったりしていたら「やっぱジャージ最高®」と判明し、今後はSyarApple®のスポーツウェアマーケテインググループトレンドセッター兼ストラテジストとしておシャレなジャージの着用と普及に全力を注ぐ方針です。「最も注目している分野は、高齢化によって競技人口が増えると予想されるテーブルテニス用のジャージとゲームウェアです。テーブルテニスウェア市場においては、業界のリーディングカンパニーであるタマス社がダサいユニフォームを出し続け、ニッタクやミズノに昨今やられっぱなしの様子。おシャレなジャージを販売する意欲の感じられないデベロッパを発見した際には、お客様窓口へ電話し『ウェア企画部門に伝えてほしい。やる気あんのか』と喝を入れる市民レベルの活動を強化していく方針です。この草の根事業によって、数多くの潜在的に優れたデベロッパが革新的なジャージやゲームウェアを作成し、テーブルテニスの人気や地位がさらに高まることを期待しています」とシャレ番長はメディアリッチなフルスイングとグッドルッキングなフォームを求めるパワフルな全世界のテーブルテニスプレーヤーを代表して述べています。今後の見通しとして、おシャレ対策費の削減はありません。おふろの残り湯を洗濯水に再利用したり、デロンギの設定をこまめに切り替えたり、人参のしっぽや大根のはっぱをちゃんと食べるなど節約生活を続行しますので、お財布に与える影響は軽微であります。
<シャレ・ジャージ番長の経歴>
2007年…白金あたりの出版社で「おシャレ番長」を襲名
2007年12月…緊急事態により「おシャレ番長」を解任
2008年1月…杏林大学病院にて不本意ながら「術着番長」に就任
2008年2月…同病院にてK嬢にはめられ「下着部門セレ番長」に就任
2008年4月…同病院にて「パジャマ番長」に就任
2008年8月…同病院にて「はらまき番長」に就任
2009年10月…同病院にて「ヅラ番長」に就任
2009年11月…退院後「つなぎ番長」に降格
2010年1月…「くるくる番長」に就任
2010年3月…「もじゃもじゃ番長」に昇格
2010年9月…満を持して「カナリア番長」に就任
2010年10月…不可抗力により「カナリア番長」を退任
2010年10月…「ジャージ番長」に就任

2010年10月12日火曜日

つれづれとF1について

「紙兎ロペ」を楽しみにしているシャレちゃん
キシリアさんとミーティング後、
南大沢のTOHOで「アイルトン・セナ」をみました。
http://senna-movie.jp/
速い!ヤバい!間違いないっ!!!
わたくし考えを改めさせていただきます。
宇宙一かっこいい男はマルチェロ・マストロヤンニ選手ではなく、
アイルトン・セナ・ダ・シルバ選手でした。
お詫びして訂正いたします…
***
かつて、F1グランプリの年間スケジュールを完全に把握し、
録画した予選&本戦を3回見直すほどのF1ファンでありました。
何が楽しくてあんなに熱中していたんでしょうか、私は。
エンジンやシャシーの仕組みもよく知りませんでしたし、
電子制御とか言っても全く分かりませんでしたし。
ただ、セナの神がかった走りにだけは、
いい加減なファンも本当のオタクをも黙らせる
すごさがあったことは確かだと思います。
予選トップの位置から優勝するレースはあってもおかしくないですが、
セナがすごかったのは、不利な位置からでも、
トップにのし上がっていくレースがたびたびあった点だと思います。
チームメイトのファーストドライバーである
プロストをも本気で抜いていきました。
ジリジリと追い上げて、プロストの真後ろぴったり付け、
プレッシャーを与えて隙を狙い、
コーナーで一気に刺してくることもあれば、
ストレートでサイドバイサイドに持ち込んで、
テールをフンフン揺らしながら、
ビヤッと抜いていくこともあります。
どれもこれも命がけで神懸かり的に速いわけです。
そのかわり自滅することも多かったわけです。
解説の今宮さんは舌を噛み、ピットの川井ちゃんのリポートが
キモいほど空回りしてしまうのも分かります。
なんでセナの走りは速く感じるのだろうと何度も考えました。
たぶんセナは孤独だったのだと思います。
言っている私も意味がよく分かりませんが、
結局はそういうことだったのだろうと思います。
マシンに関する詳しいことはよくわからないけど、
ピットインのタイミングと給油量、
タイヤ交換タイミングと交換時間などを見たり、
ドライバーの心拍数やピットとの交信を聞くのも楽しかったです。
一番楽しいのは車に搭載された小型カメラの映像だと思います。
速く走るモノは無条件におもしろいんです。
速けりゃいいんです!そんだけっ!
とか言ってるバカ野郎どもが、
レッドブル中毒になるんだろうな…
94年のサンマリノGP予選で、ラッツェンバーガーという選手が、
コーナーでクラッシュし死亡しました。
どのチームもどの選手もショックを受け、
レースを続けるべきかどうか惑っているようでした。
結局、翌日に本戦は行われました。
そこでセナは命を落としました。
7週目、平坦なラインの後に訪れる高速コーナーで、
セナのマシンはコンクリートの壁に激しく衝突しました。
私はライブ中継をフジテレビで見ていました。
ヘリコプターで病院に運ばれるセナを見て泣きました。
チームにとってドライバーは武器でもあり宝でもありますが、
一方でピエロでもあり生け贄でもありました。
それは今も昔も変わらないのでしょう。
ドライバーは勝てばヒーローですが、常に死と隣り合わせです。
命がけでレースに挑むドライバーの気持ちはどんなものなんでしょうか。
あるいは、監督やメカニックはどんな気持で、
ドライバーを送り出すのでしょうか。
観客はどんな気持でレースを見ているのでしょうか。
F1の速さを支えているのは「お金」とか「政治」だったりします。
そんな残酷さが嫌いではありません。
だってリアリティーがあるから。
ではお金があって、政治さえ見方につければうまくいくのかと言えば、
そうじゃないところにこそ本当の真実味があると思います。
そもそも排他的なスポーツであるF1ですが、
諸々の制約を超越した特別な場所にセナはいたと思います。
セナが飛び抜けて速かったので、
プロストは卑屈に見え
マンセルは退屈に見え、
シューマッハはアゴが出て見え
アレジはロリコンに見えたのだと思います。
セナがイケメンだったのも幸いでした。
そして、誰よりも執念深かったから、
速かったのだろうと思います。
ピットで険しい顔をしている監督の様子を見るのも面白いです。
(実際のピットを見た訳ではありませんが)。
ウィリアムズの監督フランク・ウィリアムズはいかにも陰険そうで、
青い瞳が邪悪に光っている時がありました。
フェラーリの監督だったジャン・トッドはいまはFIAの会長だとか、
びっくりしましたが、いかにも肥満体形のフランス人といった風貌で
喜怒哀楽の激しいところが面白かったです。
お気に入りはベネトンの監督だったフラビオ・ブリアトーレです。
スーパーモデルと付き合っていた時期などがあって存分にチャラく、
いかにもイタリアのマフィアのような見た目でした。
フラビオ監督を見て「私もF1のチームオーナーになりたい」
と思ったものです。
マクラーレン監督ロン・デニスについては、
年々薄毛になっていくのが心配だった。
そんなこんなで、まったく説得力がありませんが、
映画「アイルトン・セナ」はF1ファンでなくとも、
何かを感じられる映画だと思います。
ちなみに冒頭の絵のシャレちゃんは3Dメガネをかけていますが、
この映画は3D上映ではありません。

2010年10月8日金曜日

SPEC

あっちゃー おもしろいぞ…
TBSの金曜ドラマ「SPEC」が始まりました。
主人公の当麻くんがシャレさん好みの美人で気に入りました。
ケイゾク時代と比べると、野々村パパが歳とったなぁという印象でした。
主題歌がオシャレというか、
テレビドラマとしては新鮮でした。

2010年10月7日木曜日

2010年10月6日水曜日

自己紹介

自分の写真
2007年12月31日、ドラマみたいに白血病で突然入院。かーなりハードな化学療法(JALSG ALL 202-O)を1年かけてやり過ごし、2009年3月に末梢血幹細胞移植を受け、2010年11月に臍帯血移植を受け6カ月以上寝たきり状態に。退院したと思ったら、半年ばかり入院、そしてまた半年ばかり入院して、2013年を病院で迎えてしまって、いっぱいいっぱいな日々をひっそり過ごしている人がひっそり書いている雑記。